(はあぁぁぁぁ…。) 心の中で、大いに溜息をついてしまう。 ダメもとで神に語りかけたら、応じてもらえた。本来なら、望外の成果だろう。ところが、何の助言も得られなかったのだ。 分かったのは、せいぜい「神も酒に酔う。」ってことくらい。それが何になろう?目的が中途半端に達成されるくらいなら、 初めから会話に応じてくれない方が、まだしもあきらめがついたのに。 がっかりしたせいで、少し投げ遣りな気分になる。オーディンは何と言った?「祈れwwww」だって?仕方ない。そうしよう じゃないか。気を取り直し、再び心を集中する。 折しも、聖歌隊は一曲歌い終えたようだ。静寂が、大聖堂を包み込む。 「アーデーステ・フィーデーレース、レーティー・トゥリーウムファーンテース…」 次なる合唱が聖歌隊の沈黙を破った時、俺は思わず飛び上がりそうになった! 「…ナートゥム・ヴィーデーテ、レーゲム・アンゲーロールム…」 間違えようがない。それは賛美歌111番だった。よく知られたクリスマスソングだ。 「…ヴェーニーテ、アットオーレームス、ヴェーニーテ、アットオーレーームス・ドーオーミヌーム。」 美しいアカペラの響きがついに消え去る頃、俺は思わず顔を上げ、茫然自失としていた。 なぜだ。どうしてリアルの賛美歌がこの世界に?考え込むほど、分からなくなる。再び混乱に陥ろうとしている頭を現実に 引き戻したのは、ミサの定式文を唱え上げる司祭の高らかな声だった。あわてて、祈りの姿勢に戻る。 ようやく心に落ち付きが戻ってきた頃、儀式は終わりを告げた。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 参拝の人たちは、次々に帰って行く。俺もそれに倣い、立ち上がった。結局、謎は深まったばかり。何一つ、得る物はなかったな。 祈祷席の端まで歩く。そこで曲がれば、もう門まで一直線だ。だがそこへ行きつくまでに、一人の神父に呼び止められた。 「お待ちなさい。信仰の兄弟よ、貴方はザンゲしに来たのではないですか?」 「確かにその通りです、ハイプリースト様。しかし私がお会いしたかったシスターは、ここに居ませんでした。」 「そうでしたか。私はブレナンと申します。よろしければ、ザンゲをお伺いしましょう。」 俺は、しばらく考え込む。我が身に降りかかったことを考えれば、素直に話したところで信じてなどもらえそうにない。ただ、 全てを明かす必要もない。相手も、わけありの相談を聞くのはお手の物だろう。悩みの一部でも話せれば、それだけ心が軽くなるかな? こうして俺は名乗り、神父様のご厚意を受けることにした。 ブレナン神父に案内され、大聖堂の端っこにある、狭いザンゲ室に通される。一呼吸置いて、彼は問いかけてきた。 「大聖堂の盾なる兄弟よ。何が、貴方の心を重くするのですか?」 「神父様、私は自分のことが、分からなくなったのです。それで神のお助けを願いに、ここに参りました。」 「なるほど。それで、かくも早い時間に祈りを捧げていたのですか。兄弟よ、神は啓示を下されたようですね。」 思わず、ギクっとする。確かに、オーディンと話ならできた。でも、心を励ますような言葉ひとつ、得られなかったではないか。 暗い面持ちで、ブレナンに返事する。 「神の御心は、まことに計り知れません。私のような未熟者には、迷いが深まるばかりです。」 「そうですか…。私は最後の賛美歌が始まった時、驚きに打たれる貴方を見ました。てっきり御心が晴れたように見えたのですが、 そういうわけではなかったのですね。」 「そうなのです。」 「ではクラウス殿。貴方が心を打たれた理由は、もっと他にありそうですな。明かしては頂けませんか?」 これは困った。話したところで、信じてもらえるとも思えない。ただ、懺悔の聴聞僧に隠しごとをするのも気が咎める。 「ここで伺ったことは、誰にも話しません。どうでしょう。ひょっとしたら、お力になれるかも知れませんよ。」 いや、まさか。こんなおかしな目に遭っている身を、助けられる人なんているのか?しかし、俺の心は揺れていた。この悩みは、 独りで抱えるには重過ぎたからだ。いや、俺は独りじゃない。ノウン、ラグナ、ルーシエ、ルクスに如月…同じような境遇にあるのは、 自分だけじゃない。でも、みんなの前では平然として居たい。それぞれ大変な思いをしているのに、俺の重荷をともに背負ってもらう ことなど、できるかって。 ええい、ままよ。ブレナン神父が何を聞いたって、それがザンゲ室から外に漏れることなどないのだ。 こうして、俺は全てを彼に打ち明けた。オーディンのキャラは伏せておいたし、ここの神が酔いつぶれていたことは除いたがな。 「よくぞ話して下さいました。さぞ、辛かったでしょう。大丈夫。慈悲深き神は、全てをお赦しになります。貴方の重荷は、いずれ 降ろされましょう。」 ふん、決まり文句か。ブレナンには悪いが、楽観論など、素直に聞いていられる気分じゃなかった。 「神父様、神におすがりしながらも迷いを深めるような、罪深き私でも救われるのでしょうか?自身のことすら、深い霧の中に あるようですのに!」 「兄弟よ、神助を疑ってはなりません。貴方はまさに神のお導きによって、ここに居るのですから。」 そう言われると、黙り込むしかなかった。彼の言葉を退けたら、その深い信仰心まで否定することになってしまいかねない。そこまで するつもりは、なかった。仕方ない。ありがたく説教されて、帰るとするか。 そう考えている時だった。今朝から大聖堂の門をくぐって何度目のことだろう。次に耳へ飛び込んできたブレナンの言葉は、まるでハンマー のように、俺の心を驚きで打ちのめした。 「…私もある日、目覚めたらこの世界に居たんですよ。」 全く、大聖堂が心臓に悪い場所だったとは、夢にも思わなかったぜ。うなだれていた顔を、つい上げてしまう。だが、格子窓の奥にある ブレナンの表情を、読み取ることはできなかった。やっとのことで、神父に質問する。 「ブレナン様に、お悩みはないのですか?元の世界に、帰ろうとは願われないのでしょうか。」 「私は、これで良いのです。元の世界に居ても、辛いばかりで希望はありませんから。」 そう言われては、それ以上問う気になれなかった。こちらの心中を察したのか、ブレナンは声のトーンを明るくして語りかける。 「クラウス殿。貴方はご自身のことが分からず、お困りですね。精神が入れ替わる前から、すでに長い間クルセイダー隊の一員であった ようですし。今さら、本来の存在を演じなければいけない辛さは、お察しするに余りあります。でも、良かった。恐らく、私なら少しは お力になれると思いますよ。」 ん?どういう意味だ?怪訝そうにしている俺を見つつ、ブレナンは続ける。 「私は、王国の上の方々からご信任に与っている身で、話を聞いて頂ける立場にある者です。そして、貴方は十字軍士。決して、大聖堂 に縁のない方ではありません。私が頼めば、一日だけでもクルセイダー隊の人事資料を閲覧する許可が下りると思いますよ。」 なんですって!驚きのあまり、自分でも顔の固まるのが分かった。本当にそんな許可がもらえるのであれば、とてもありがたい。 「それは…大いに助かります。お願いしても、よろしいですか?」 生唾を飲みつつ、かろうじて言うべき願いを口にできた。 「もちろんですとも。明日の朝、またここへ来なさい。上手く運べば、その時には許可証をお渡しできるでしょう。ああ、それと最後に これだけ…。貴方は貴方。クラウスは、クラウスです。あまり、思い詰められますな。小事など、気にしても詮のないことです。」 「はいっ。」 思わず、返事の声が明るく弾む。格子窓を開いて見せたブレナンの顔は、優しく微笑んでいた。