回廊の中庭に、打ち合う剣の音が響く。 「くっ、今日はいつも以上に手厳しいな、クラウス!」 「そうか?普段通りにやってるつもりなんだが。」 大聖堂から戻った俺は、ノウンと食事をとると、ともに剣の訓練を始めていた。毎朝と同じように。 今、ノウンは次々に繰り出される攻撃を、懸命に受け止めている所だった。その間隔が早いので、後ろへ下がることもできずに いるようだ。しかし、こちらも気を抜けない。どんな一撃にも、直後に隙が生じる。それに乗じようと、ノウンは様々な工夫を 凝らしていた。振り下ろされる剣の力をただ受け止めず、できるだけ受け流して来る。そして防御に回した剣の動きを、無駄なく 反撃に転用して来るのだ。稽古を重ねるうち、徐々にその動きも速くなってきている。初めの頃は、俺にもノウンの反撃を、構え 直した自分の剣で受け止めるだけの余裕があった。しかし、最近ではそんな暇もない。とっさにバックラーを構えるより他に、 彼の一撃を受け止める術を失っていた。そのまま攻守が逆転し、ついには一本取られる日もあるほどだ。 しかしそんなノウンも、今朝は苦戦を強いられている。どうも、俺の動きを読み切れていないみたいだな。もはや、隙を窺う こともせずに、防御に追われている。しかし、その守りもついに破られた。剣を自分の左肩に付け、そのまま身をノウンの両腕の 間に割り込ませる。彼は盾と剣の動きを封じられた。近づく二人の顔。口元がノウンの左耳の辺りに寄せられた時、俺の剣は彼の 喉元を捉えていた。 「えぇい、負けた!」 「これで終わりとは言うまいな!さあ、次の勝負だ。」 「望むところ…と言いたいところだが、ちょっと休ませてくれ。もう別の攻め方を考えないと、お前には勝てん。」 「どうした、いつもはもっと粘るじゃないか。今日も俺から、一本取ってみせろ!」 「ああ、お望みなら一本と言わず、昨日みたいに三本でも取ってやるよ!」 ノウンの強い気迫は、いつもと変わらない。しかし、恥ずかしいことを思い出させてくれる。彼には甚だ失礼だが、昨日は少し うわの空になっていたのだ。家族の存在が分かり、動揺していただけじゃない。早く、大聖堂で神と接触を図るというアイデアを 実行に移したかった。 「それにしてもクラウス、お前はその日の気分が、剣に表れ過ぎるんだよ。教わる方としては、もう少し安定してほしいものだぜ。」 「それは、良いことを教えてもらったな。すまん。気をつけるよ。」 「さては大聖堂で、何かいいことがあったんだろ!可愛いプリさんでもいたのか?このエロクルセめ!」 「あーっ、言ったな!もう容赦しないぞ!」 イタズラっぽく笑うノウンに、同じような顔を見せながら稽古に戻る。しかし、彼の挑発に笑いのツボを突かれてしまったからだろうか。 今度は易々と、一本取られてしまった。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 宿に戻る道すがら、ノウンに大聖堂でのことを話す。申し訳ないが、明日は稽古を休まなくちゃいけないだろう。しかしノウンは、快く 笑って許してくれた。 次の早朝、ブレナン神父に会いに行くと再びザンゲ室に通される。そこで神父は、ロウで封をした一通の文書を手渡してくれた。 「お約束の許可証です。これを、クルセイダー隊の詰め所にある、資料室の担当者にお見せなさい。それまで、封を切ってはいけません。」 「ありがとうございます、神父様。私のために、ここまでして頂けるとは。」 「いえ。当然のことをしたまでですよ。」 「そういえば、話し忘れていたのですが…昨日の賛課の間に、不思議なことがあったのです。」 ブレナンの目が光ったような気がする。 「ほう…。やはり、神は道をお示しになったのですか?」 「分かりません。ただあの時リアルの世界の賛美歌を、確かに聴きました。魂消ましたよ。」 ブレナンはうなずくと、意外にも謝って来た。 「驚かせてしまったようですね。すまないことをしました。」 「え?なぜブレナン様が私に謝るのでしょうか?」 「あれを歌わせたのは、私なんですよ。」 俺は思わず、息を飲む。 「どうして、そんなことを。」 「お聞かせしましょう。クラウス殿、私は貴方を存じ上げているのです。一度、戦場でお世話になりました。」 「なんと…!そうだったんですか。」 「クラウス殿は、『神も仏もあるものか』といったご様子で、冷徹に戦っておられた。私には、神よりも自分の腕を信じて戦に臨む軍人に 見えたのです。」 うん。ケイナさんも、そんな話をしてくれたっけ。 「そのようなお方が、昨日はあんな早朝に大聖堂に参られた。私の知る限り、初めてのことです。ご心境に、どんな変化があったのでしょう。 聞けば、ザンゲまでお望みだと言うではないですか。」 あー…、なるほど。話が見えて来たぞ。 「そこで申し訳ありませんが、カマをかけさせてもらったのですよ。貴方の身に、私と同じうようなことが降りかかっていれば、それなりの 反応が見られるのではないか、と思った次第です。」 鋭いお方だな。全ては、彼の掌の上だったのか。 「なるほど、ご明察でした。うなずくより他ありません。もう一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」 「なんなりと。」 「ブレナン様はこれまでに、他にもリアルから来た方を見かけましたか?」 「はい。何人かは私と同様、ここに留まる道を選びました。そしてその他の方は、また元の世界に帰って行かれたようです。」 「それは、興味深い。その方々は、どうやって帰るすべを見つけたのでしょうか。」 「一概には、申し上げられません。ある人は転生まで頑張り抜き、ヴァルキリーの力を借りました。しかし、そこまで努力せずとも突然、 帰られた方もいるようです。道はどうやら、一本ではないようですね。」 「う〜ん…どうにもはっきりしませんね。ブレナン様の勘で結構です。私はどうすれば、向こうに戻れると思われますか?」 「貴方は話して下さいましたね。こちらへ来た時、都の自宅ではなく宿屋に居たと。そして、こちらのご家族と諍いを起こしたのではないか、 と案じておられた。」 「はい。確かに。」 「クラウス殿の推測は、当たっているかも知れませんよ。そこに、貴方がこちらへ来た原因があるのかも知れません。」 「それが判明すれば、リアルに帰る手がかりが得られると?」 「そうとは限りません。あくまで、可能性の一つです。」 やはり、雲をつかむような話だ。ここに留まるにせよ、帰るにせよ、安心できるのはまだまだ先のようだな。 途方に暮れかけていると、ブレナンは優しく話しかけてくる。 「私はある時、ある方のザンゲを伺いました。初めから、この世界の人だったようです。告解を終えると、その方は帰って行ったのですが、 次にお会いした時には、まるで別人のようでした。」 「その方は、今の私のような境遇に陥ってしまったのでしょうか?」 「はい、恐らくは。そしてその人も貴方のような悩みを抱え、他の聴聞僧にそれを打ち明けたそうです。」 「ふむ…。」 「その告解が、心を励ましたのでしょうか。何か固い決心を胸に、大聖堂を後にしたそうですよ。そして、再びここへ姿を現した時、 実に面白いことを語って下さいました。」 「お聞きしても良いのですか?」 「はい。その方はこう言ったのです。『神父様、実に不思議なことがありました。私には、ここ数ヶ月間の記憶がないのです。覚えている のは、貴方にお会いしたことだけ。そして再び意識が戻ってきた時、私の抱えていた問題は解決していたのです。』と。」 俺は、思わず身を乗り出す。低いザンゲ室の天井に、もう少しで頭をぶつけるところだった。 「つまり、リアルから来た方は、元の世界に帰れたというわけですか?」 「そういう解釈も、許されるでしょう。事実かどうかは、神のみがご存知ですが。」 「ブレナン様、まさに福音のようなお話を聞かせて頂きました。ありがとうございます。同じ境遇にある私の仲間も、喜ぶことでしょう。」 「いいえ。軽々しく、この話を仲間の方々に伝えるべきではありません。これはあくまで、成功したと思われる例の一つに過ぎません。 クラウス殿に悩みがあり、貴方がそれを解決したとしても、リアルへ帰れるとは限らないのですよ。それにそもそも、お仲間の誰もが帰る ことを望んでいるかどうか。それが、分からないではないですか。」 む、そうだった。つい、自分中心にものを考えてしまう。恥ずかしくて、思わずうつむいてしまった。 ブレナンは、微笑をたたえて続ける。 「もし私がお仲間の力になれるのなら、神がその方々を私のもとへお導き下さるでしょう。貴方がそうであったように。さあ、お行きなさい。 貴方の進む道に、神のご加護がありますように。」 俺は神父様の顔を見据え、敬礼してきびすを返す。目指すは、クルセイダー隊の詰め所だった。