●ルーンミッドガッツ王国の首都プロンテラ   朝食を終え、宿を飛び出していったクラウスを追ってプロンテラ城まで来た僕は、   ここ数ヶ月の間、毎朝彼を相手に稽古をしている。   僕の四つある日課の内の一つだ。   プロンテラ城内にある回廊の中庭に打ち付け合う金属音が響く中、僕は一つの疑問を抱く。   今日に限ってクラウスの一連の動きの流れに違和感を覚え、ぎこちなさを感じたからだ。   「今日のお前はいつもより精彩を欠く動きをしてるぞ、クラウス!」   「俺はいつも通りさ」   返すクラウスの言葉はどこか覇気が感じられない。   この数ヶ月間を共にしてきた僕には一つの確信がある。   その確信とはクラウスはその時の気分や感情がはっきりと太刀筋に表れることだ。   それを証明するように彼の持ち味である流線的な太刀筋は徐々に直線的になっていく。   互いに打ち付け合っていたところからクラウスは突如突きを繰り出す。   僕はそれをガードで軽くいなして受け流し、流れに任せて身体を捻り、右足の踵で彼の剣を握る手の甲に蹴りを浴びせる。   クラウスの手から滑り落ちた剣は短い音を立てて地に転がり、僕はスティレットを彼の喉元に突きつける。   「また負けた、か」   「またじゃないだろう、これでもう三回目だぞ」   「ああ、もう三本も取られたのか」   今日だけでもう十数回の勝負に及んだ為か、いつの間にか時刻は昼前近くになっていた。   落とした剣を拾いながらもどこか上の空のクラウスに休憩を提案し、僕は中庭の丁度日が差す場所へと座り込む。   雲ひとつなく澄み切った青空と暖かくも眩しい日差しとは対照に、隣へ座ったクラウスの表情は硬い。   「クラウス」   「なんだ?」   今朝の出来事を思い出しながらクラウスに尋ねる。   「ルーファスさんとユーベルさん、だっけ。今朝二人から言われたこと、気にしてるんだろ?」   僕の言葉にクラウスは顔を上げ、慌てて否定する。   「違う違う、そんなんじゃないって」   「じゃあ、何を悩んでるんだ? じゃなきゃ僕がお前から三本も取れるはずがない」   「それは間違いなくノウンが腕を上げているから――」   「クラウス、いくら僕があれから実力をつけていたとしても本来ならお前の足元にも及ばないんだぞ?    正面からまともにぶつかり合っても一本取れるかどうか怪しいところだ」   短い沈黙の後、クラウスは頭の後ろに手を組み、その場で仰向けになる。   「……色々分からないことがあってさ、焦ってるのかもな」   ぽつりと漏らした彼の言葉に継いで、僕は尋ねる。   「だからそれを神様に聞こうって?」   「そう、そもそもこの世界には人間と魔族、そして第三者たる神がいる。    元の世界はいざ知らず、この世界では神の存在を疑う余地はない。    三者とも千年前から対立しているが、その年月の所為か今では大聖堂でも神を崇め、    アコライト系やクルセイダーのスキルを見る限りでは、人間もその加護を受けられる。    もしかしたら神と話し合えるかもってわけだ。これは稽古前に話したよな?」   頷きながらも僕は不安を口にする。   「でも本当に応じてくれるのかな?」   「それも稽古前に話したろ? やってみなくちゃ分からないって。    上手くいく保証なんてどこにもない、駄目だったらまた別の手を考えるまでさ」   空を見上げたままクラウスは続ける。   「そう、やってみなきゃ分からない。それは理解してるつもりなんだよ。    でも、体ってのは正直みたいでな、どうしてもこうやって表に出ちまう。    今焦ったって仕方ないってのにな……」   クラウスはただ空を見つめ続けている。   僕も彼に倣って空を見上げながら言う。   「でもさ、それって当たり前のことだろ」   僕の方にクラウスは顔を向ける。   それに気づかない振りをして僕は続ける。   「僕だって同じだよ。分からないから知りたい、知りたいから気が逸る、焦るから分からなくなる。その繰り返しだ」   黙って僕の方を見続けるクラウスに僕は更に言葉を継ぐ。   「僕たちがそれぞれノウンとクラウスになったのもこの世界に来てからだろ?    自分自身ですら知らなくて当然のことが多すぎるくらいなんだ。    それを分かりたくて、知りたくて、焦るのはいけないことじゃないだろ?」   僕に向けていた視線を再び空に移し、クラウスは呟く。   「だよな、それが当たり前なんだよな」   ゆっくりと体を起しながらクラウスは少し恥ずかしそうに言う。   「すまないな、ノウン。だけど、お陰で少し気が楽になった」   「気にすることないよ。こういうときはお互い様だろ?」   僕の下手な慰めでも気休めになってくれればそれでいい。   暫くしてクラウスは立ち上がり大きく伸びをする。   「いやー、身体動かして悩んでたら腹減っちまったな」   よかった、ようやくいつものクラウスに戻ったようだ。   僕は軽く笑いながら彼の言葉に同意し、一緒に宿へ向かうことにした。   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇   昼食を終えた僕たちは、引き続き食堂のテーブルを挟んで向かい合っていた。   従業員によって次々と食器が片付けられ、未だ多くの客で賑わう中、クラウスは一つの疑問を口にする。   「そういや、ノウン。お前の日課ってやつはどうなってるんだ?」   「ああ、それなんだけど……」   僕は手荷物の中から一冊の手帳を取り出し、テーブルの真ん中に置いて広げてみせる。   プロンテラに戻ってから数ヶ月間、僕が現在まで調べられる範囲の書物から得た情報と、   自分の持ちうる考えを照らし合わせて元の世界との関係を明らかにする。   これが僕の日課の二つ目にあたる。   雑多に書き込まれた手帳の中の一つの言葉、日本語で書かれた文字をクラウスが読み上げる。   「元の世界とも現実のROとも違う別の現実世界――その一つにあたるこの世界という存在……    つまりパラレルワールドってことか?」   クラウスの問いに僕は頷き、自身の考えを説明する。   「この世界が元の世界とは別物なのはもう言うまでもない。けど、現実のROと全く同じというわけでもない。    確かに直接関係しているとも思える部分はあるけど、それよりもこの世界にあって現実のROにないものが多すぎる。    昼夜、天候、冒険者やNPC以外の人たちとその生活、現実のROにはない家屋や施設等…… これらの存在がそうだ」   腕組みをしたクラウスが唸り声を上げる。   「つまり、似てはいるけど別の世界ってことだよな?」   「確証はないんだけどね。飽くまでこの世界の本の情報と自分の考えを照らし合わせた結果だから。    でも、現段階ではこれが最有力だと思う」   再びクラウスが唸り声を上げる。   「確かにパラレルワールドと考えればこれまでの辻褄が合うな…… で、これ以上のことは分からないのか?」   「言ったろ、確証はないって。確かなことが分からない以上、ここから先のことは何とも言えないよ」   勿論、この考察自体が正しいという保証もない。だからこれ以上のことは言うことが出来なかった。   「そうか…… じゃあ、もう一つの日課とやらはどうなんだ?」   「それなんだけどさ」   プロンテラの街に訪れる冒険者達から元の世界について話を聞く、   いわば聞き込みこそが僕の日課の三つ目にあたるのだが……   「これが呆れるほどさっぱりなんだよなぁ」   僕の言葉にクラウスは要領を得ないようで首を傾げている。   「どうしてだ?」   「いざ聞いてみれば、そんな世界あるわけがない、あったら素敵だね、新手の宗教勧誘ですか、この三択ばかりでさ」   「ああー……」   納得した様子でクラウスは声を上げ、僕は溜息混じりに呟く。   「大体、プロンテラに訪れる冒険者は数が多い上に入れ替わりが激しすぎるんだよ。    そんな中から元の世界を知る人を探し出して話を聞くってのが度台無理な話なんだ」   「でもさ、少なくとも元の世界を知っている俺たちはこうして出会ってるじゃないか」   「そう、問題はそこなんだよ。    僕たち――元の世界からこの世界に迷い込んだ何人かはフェイヨン襲撃事件を機に出会ったわけだけど……」   言いかけて口篭る。口にするのも躊躇うほど、ここから先の可能性はできるだけ考えたくなかったからだ。   暫く沈黙が続いた後、意を決して僕は自身の考えを述べる。   「こう思うんだ。もしかしたら、あれは僕たちを引き合わせる為に起きたことじゃないかって」   瞬間、クラウスの表情が強張るのを感じた。   「……それはどういう意味だ?」   「一度は集まった僕たちがあれ以来、ほとんどの人たちとの接点がなくなっている。    あの事件が僕たちにとって何かの契機になっている、そんな気がするんだ」   クラウスはテーブルを叩いて立ち上がる。   「何か、って何なんだよ! あの日、多くの人が犠牲になったんだぞ!!    それが俺たちに関係している? お前はあの事件に関わっていないからそんなことが――!」   僕の仮説にクラウスはいきり立ち、声を荒げる。   クラウスの言葉に対して言いたいことが喉まで出掛かるがそこは無理やり堪え、   憤慨した様子の彼を僕はただ平静を装って見据える。   ややあって、徐々に落ち着きを取り戻したのか、彼は椅子に座り直して小さく謝罪する。   「すまない、今のは言い過ぎたな。例え直接関わりがないとしてもお前が何とも思っていないはずはないのに……」   「気にしなくていいよ、クラウスの反応は尤もだ」   クラウスの謝罪の言葉に僕は被りを振る。   事実、僕はあの事件に居合わせていたわけではなかった。   事件の顛末を聞き、駆けつけた時に惨状を目の当たりにしたに過ぎない。   クラウスの反応は彼が正常な感性を持っているという証拠だ。   寧ろ、仮説だとしてもこんなことを考え、口に出来る僕の方が異常なのだろう。   「しかしノウン、お前の話を統合すると改めて俺たちの置かれた状況の異常さが実感できるな。    これらの真偽も含めて、神にはじっくり問い詰める必要がありそうだ」   「そのときはよろしくお願いするよ」   もし僕が神と話し合いの場を得られたとしても、先に恨み言を言ってしまいそうだしな。   そのことは敢えて言わないことにした。   会話が一段落したところで、食堂の隅に置かれた時計を見る。   時刻は14時3分。思っていたよりも長く話し込んでしまったようだ。   僕はテーブルに広げた手帳をしまいこんで席を立つ。   「じゃあ、僕はそろそろ四つ目の日課に専念するとしようかな。もうすぐレベルが上がりそうなんだ」   「今はいくつだっけ?」   「ええっと……Base51、Job38……かな」   「てことは、そろそろ転職も視野に入るな。どうするのか考えてあるのか?」   転職、か。   確かに強い力が欲しいとは願ってはいたけど、自身の明確な進路について深く考えたことはなかった。   「いや、正直全然考えてなくて……」   「なら、じっくり考えるといいさ。こういうことで悩むのも悪いもんじゃないと思うぞ」   そう言ってクラウスはニヤニヤとしている。僕もそれ釣られて少しだけ微笑む。   「そろそろ行くよ。クラウス、また明日」   「ああ、また明日。頑張ってこいよ」   僕は軽く頷いてその場を後にして宿を出ると、日課をこなす為に西門へ向けて歩いていった。 ●渓谷の橋(プロンテラ←↑ ミョルニール山脈09)   プロンテラより北西に進んだ場所にある大きな谷。   その谷を挟んで反対側にあるミョルニール山脈へと一つの橋が架けられていることから、   ここは通称「渓谷の橋」と呼ばれている。   僕はここでクワガタの魔物、ホルンの相手を中心として狩りを行っている。   これが僕の日課の四つ目にあたる。   ただ経験値が欲しいだけならアカデミーへ通えば済む話ではあるが、   魔物に対するより実戦的な経験を積むことを望んだ僕は敢えてこの方法を選んだ。   現実のROではここでは自ら襲ってくるアクティブモンスターは存在せず、   こちらから危害を加えなければ襲うことのないノンアクティブモンスターばかりで構成されている。   だが、この世界でのノンアクティブモンスターは勝手が違うらしく、その魔物の縄張りに侵入することで襲われることがある。   噂ではフェイヨン襲撃事件の後、各地で魔物の凶暴化が顕著になっているとも言われ、   それが原因の一端ではないかと言われている。無論、この場も例外ではない。   周囲に目を凝らしつつ歩いていると、唐突に後ろから何かが近づいてくる気配がする。   急いで振り返ると、人一人分もの大きさのホルンがその特徴的な大顎で僕を捕らえようとしていた。   足元を掬うようにして襲い掛かるホルンの攻撃を垂直に跳躍して避けた僕は、   そのままホルンの背に乗るようにして踏みつける。   ホルンの唯一の武器である大顎では正面しか攻撃することが出来ず、こうして背に乗ってしまえば一気に無力化する。   左腰に下げたスティレットを抜き、そのままホルンの頭に向かって垂直に突き下ろす。   頭部を貫かれてもなおホルンは抵抗して僕を振り落とそうとする。   振り落とされる寸前に、僕は突き刺したままのスティレットを真っ直ぐ引き、ホルンの体を真っ二つに引き裂く。   二つに裂かれた体から体液を撒き散らしながらホルンは絶命した。   僕はそれに近づいて大顎を切り落とし、皮を剥いで袋に詰める。   最初はこの行為をすること自体に抵抗があったが、今ではそれも気にならなくなっていた。   更に奥へ進んで行くと、鬱蒼とした茂みの中から複数の気配を感じ取ると共に唸り声を聞く。   この侵入者を警戒するような唸り声は間違いない、狼の魔物ウルフのものだ。   視認できる範囲の情報と気配から八匹はいることは確実だった。   ここでのウルフの生息数は少ない。   にも拘らず一度に八匹ものウルフに目を付けられるとは、余程僕は魔物に好かれる性質らしい。   茂みの中から聞こえた一匹のウルフの鳴き声を合図に、次々と現れたウルフたちが僕の周囲を囲む。   そして包囲が終わった直後、八匹のウルフが僕に向かって一斉に襲い掛かってくる。   それに対して僕はスティレットを掲げ上げて一つの思念を固める。   (イメージしろ…… 僕の周囲を包む爆炎を……)   掲げたスティレットをそのまま大地に叩きつけると同時に、   僕の周囲を包むドーム状の爆炎が八方から襲ってきたウルフたちを弾き飛ばす。   剣士系スキルの一つ、マグナムブレイクだ。   僕は崖に体を打ち付けられた一匹のウルフに対して飛びかかり、その勢いに乗って喉を掻き切る。   先ずは一匹。   近くで未だに体勢を崩したままのウルフに向かって跳躍し、体を踏みつけると共に首を刎ね飛ばす。   二匹目。   残りの六匹の内五匹が距離を取り始める中、一匹のウルフが僕に向けて飛びかかる。   それを体を屈めて避けた瞬間、僕は頭上にあるウルフの胸部を貫き、真っ直ぐに引き裂く。   三匹目。   続いて二匹のウルフがそれぞれ僕の上下から襲いかかる。   足元を狙ってきたウルフを踏み台にして飛び上がり、僕と同じ高さまで跳躍したウルフの脳天を貫く。   四匹目。   そのまま先程踏み台にしたウルフの背に踏み潰すように着地し、先程貫いたウルフごとスティレットを深く突き下ろす。   五匹目。   残った三匹が一斉に向かってくる中、僕はその包囲から逃れる為にスライディングで脱出する。   その際一匹のウルフの開いた口へスティレットを滑らせ、スライディングの勢いを利用して体を二つに引き裂く。   六匹目。   残り二匹の後ろを取った僕は強力な斬撃の思念を固めた一撃――剣士系スキルの一つバッシュを打ち込み、   一匹のウルフの体が上下に分かれる。   七匹目、残り一匹だ。   最後の一匹は僕に向き直ると、一旦距離を置いてから突進する勢いで向かってくる。   僕は向かってくるウルフの顎を蹴り上げ、がら空きとなった胴体を突き刺し、   その先に見える一本の木へ押し当てるように突き立てる。   これで八匹、全部だ。   この場所で狩りを始めたばかりの頃は魔物の動きや対処方法が分からず、   何度も傷を負っては自身の再生能力に頼るといった戦い方しかできなかった。   だが日を重ねて経験を積むことで、先程のように多数の魔物相手にも無傷で対処できるようになっていった。   毎朝行っているクラウスとの稽古が実を結んだ結果といえるだろう。   散乱したウルフの屍骸から一通り爪や皮を始めとした収集品を回収し終えると、   先程の戦闘で跳ね飛ばしたウルフの首と目が合う。   直後に強烈な吐き気を催すが、僕はそれを誤魔化すようにウルフの頭部を何度も踏み潰す。   原形が留められなくなるほど踏み砕いたところで、ようやく吐き気が治まっていく。   魔物と戦うことや屍骸から収集品を回収することに慣れても、   こうして自身が魔物を殺したという事実と向き合えるだけの精神を僕は未だ持ち合わせてはいなかった。   どんな理由であれ、自分はこれまで殺してきた多くの魔物の屍の上に立っている生きている。   それを認めることが怖いのかもしれない。   だが、魔物は決して無駄死にをしているわけではない。   倒された魔物は確かな経験の一部として昇華され、僕をここまで強くさせることに貢献している。   僕のしていることは決して無意味なものではない。   今はそう正当化し、自身を納得させることだけで精一杯だった。   「まだレベルが上がるには少し時間がかかりそうだな……」   ボソリと自分に言い聞かせるように呟く。   この渓谷は日が暮れるとただでさえ良くない見通しが悪くなる上、   夜目の利く魔物が多いことから対峙する際に大きなハンデを負うことになる。   だから暗くなる前に何としてもノルマをこなす必要があった。   今はまだ夕刻前ではあるが油断の許される状況ではない。   僕は更なる糧を求めて、深い茂みの奥へと慎重に足を踏み入れた。