●ルーンミッドガッツ王国の首都プロンテラ   女性が剣を引き抜いた瞬間、僕は貫かれた腹部を抱えるようにして膝をついた。   腹部と同時に口からおびただしい量の血が流れ、それらが足元に赤い池を作りだす。   一瞬、何が起きたのか理解できなかったが、流れた真紅の血と身体を走る痛みが現実を教える。   僕は、今、隣に立つ女性に殺されかけたのだ、と。   僅かな沈黙の後、女性が歩き去ろうとした時には、出血は止まり、貫かれた腹部の傷も消えていた。   僕はよろめきながらも立ち上がり、女性を呼び止める。   「ま、て……」   発した声が震えていることには、直ぐには気づかなかった。   未だ痛みの残る腹部を押さえながら僕は続ける。   「あ、んた、政府の、特務だ、ろ…… どう、して、僕を……殺そうとし、た……?」   僕の呼びかけに応えるように、女性は足を止めるとその場で踵を返す。   白いブラウスとプリーツスカート、腕には腕章を付けている彼女は、他者を威圧するような強い視線を僕に向けたまま答える。   「政府の特務? 私はそんなものではありません。    それにあなたは、いえ、あなた方はこの世界には不要な存在です。それを排除しようとしたまでです」   美しく整った唇からは抑揚のない無感情で、無機質な声が発せられる。   不要な存在? 排除? いや、それよりも――   (何だ……何だこの違和感は……)   ゲームマスター――この世界でいう政府の特務でないとしたら、目の前にいる女性は何だ?   僕には目の前に映る彼女がどうしても異質なものにしか見えなかった。   彼女からは威圧するような強い視線以外はまるで感じられない。   僕を殺そうとしたにも関わらず、殺気どころか一切の感情すら感じられなかった。   それに僕の身体を貫いたはずの剣には一滴の血すら付いていない。   一体僕は、今、何と対峙しているのだろうか?   「不要な存在って、どういう意味だ……?」   冷や汗を一筋流しながら尋ねる。   背中や血の滲んだ腹部の服まで汗ばんでいることに気づく。   痛みが消えたことも忘れて、僕はただ嫌な汗を掻いていることを感じていた。   「言葉通りの意味です。あなた方は"主"の望む世界には邪魔でしかありません」   "主"? 望む世界?   さっきから彼女が何を言っているのか理解できない。   それでも僕は半ば反射的に彼女へ問いかける。   「"主"って誰だ? それにそいつの望む世界って……神様にでもなったつもりか?」   言いながら一歩踏みしめた時、顔から二筋ほどの冷や汗が流れ落ちる。   更にもう一歩踏み出そうとした時、ようやく自身の体が恐怖に震えていることに気づいた。   「"主"とは私たちの創造主、それ以上でもそれ以下でもありません。    それに"主"はこの世界に創られた神などという低俗なものではありません。お間違えなきよう」   この世界の神じゃない? それなら何だというんだ?   先程から彼女の言葉の殆どは理解できないままだが、一つだけ分かったことがある。   さっき、彼女は僕たちが不要な存在であり排除しようとした、と言った。   つまり――   「ここ最近の連続殺人・失踪事件…… 犯人はあんただな?」   「正確には私ではなく、私たちが正解です。    ですが、それが分かったところであなたにはどうすることもできないと思いますが?」   「できるよ」   自身に纏わりつく恐怖を振り払うようにして、目の前の女性に向けて駆け出す。   「この場であんたを止めることが!」   ここで止めなければ、また多くの人が犠牲になる。   そう感じた僕は腰のスティレットを抜き放ち、女性の懐に飛び込むと同時に全力で斬りかかる。   が、それは虚しく空を斬るだけに終わった。   (避けられた!?)   違う。彼女はその場から微動だにしていない。   しかし、こちらが距離を読み違えたわけでもない。   (ならこれで!)   すかさずその場で女性の腹部目掛けて突きを繰り出す。   しかし、スティレットの切っ先は彼女の服に触れたところで止まっていた。   突きに込めた力を加減しているわけではない。   にも関わらず、スティレットの切っ先がその先を進むことはなかった。   「何で――」   「言ったはずです。あなたにはどうすることもできない、と」   瞬間、女性は剣を一筋振り払う。   それに遅れて、僕の身体の至るところから多量の血飛沫が上がる。   「――――ッ!?」   身体中を駆け巡る激痛と共に、声にならない叫びを上げる。   僕は一瞬にして出来上がった血溜まりの中に倒れこみ、激痛のあまりのた打ち回る。   「無様ですね」   彼女は一言だけそう呟くと、踵を返してこの場を去ろうと歩を進める。   「……ま……、て……っぐ……ッ!」   僕は血溜まりの中から必死に這いずり、声を絞り出す。   女性は足を止め、一瞥するように顔だけをこちらに振り向かせる。   「しぶといですね。そこはデータ通り、ということでしょうか」   データ通り?   まただ、また分からないことを言っている。   「さっ、き……から……、な、に……を、言って……」   「分からないのであれば、理解する必要はありません」   それ以上に分からないのは彼女の行動だ。   彼女の実力を持ってすれば、僕程度は簡単に殺せるはずだろう。   なのに何故、そうしないのか?   「どうして……僕を……生かしておく……?」   まだ痛みは残るが、出血は止まり、傷も塞がり始めている。   ただ、余りにも血を流しすぎた。   立つことは儘ならず、這いずるだけで精一杯だ。   失血の余り意識が遠くなりかけ、言葉が途切れ途切れになる。   「"主"からの命令です。あなた程度の者は適当に遊んで放っておけばいい、と。    つまり、あなたに殺すほどの価値はないということです。    それに、これで言うのは三度目になるでしょうか」   女性は顔を背けて言い放つ。   「あなたにはどうすることもできない。これから先も、ずっと」   彼女の言葉と共に響く足音を最後に耳にして、僕の意識は深淵に飲み込まれていった。