食事が済むと、俺は予告通りに部屋に籠った。入ってドアを閉じると、まず全体を見渡してみる。 う〜ん、殺風景とまでは言わないが…。何というか、飾り気がない。洋服ダンスと武具のタンス、そして背の高い本棚が一つずつ。部屋の奥の 壁には窓があり、その外の花台ではティナが手塩にかけた花々が見事に咲いている。窓の側にはベッドが据えてある。そして反対側の壁には 大きめの机が置かれていて、それには引き出しや本棚が付いていた。しかし、どれにも目を楽しませるような工夫がほとんどない。持ち主は、 家具に役割を果たす以上のことを求めていないようだった。 さて、どこから始めようか…。やっぱり、本棚だろうな。どれどれ、どんな本を読んでいるんだろう。 『剣は軍人の花嫁−武具の手入れの手引き-』 『司祭を呼ぶ前に−応急処置の実技−』 『我が口を逃れるものなし−山野の食材−』 『じゃじゃペコ馴らし』… 思った通り、堅いものばかりだ。少しでも読みやすそうな本と言えば、せいぜい二、三冊だけあった古そうな詩や伝説の書くらいのもの。 他にも歩兵や騎兵の操典とか、クルセと大聖堂の関係を物語る本などが並んでいた。しかしそのいずれも、俺を悩ませている疑問の氷解に役立つ とは思えない。 気を取り直し、机に目を向ける。そこになら、何かもっとクラウス個人に関係ある物が見つかるかもしれない。 机の本棚の鎧戸を開いて見る。果たして、そこには先ほど見た物より状態の悪そうな、古い本が並んでいた。本の間に不自然な間隔があるので、 一冊手に取って見ると案の定、鍵が付いている。その背表紙には、数字しか書いてない。さて、困ったぞ…。いきなり、興味深い本がいくつも 見つかったのは良いんだけど、この錠前を解かない限り中身に触れられない。さあ、鍵はどこd…おっと。頭の中で言葉を仕舞いまで言って しまう前に、それらしい鍵が視界に飛び込んできたじゃないか。なぜ、こんな分かりやすい場所に?まあ良い。詮索は後だ。とりあえず、この 鍵を試してみよう。俺は一番、番号の古い本を手に取ると鍵を差し込んで回してみた。古風な鍵はなかなか回らず、これはやっぱり、鍵が違う のかと思い始めた矢先、「カチリ」と音がして錠前が解けたではないか。まさか、開くとは…不用心だぞ、クラウス。 さっそく机に向かい、2ページほどめくってみると本のタイトルが手書きで記されていた。 『剣士クラウスの日記』 一挙に神経の張り詰めるのが分かる。これこそ、探し求めていた情報源かも知れない。生唾を飲みながら、先へ進んでみると前書きがあった。 「どのような思いとともに、この道を選んだのか。また目的を果たすため、どのようにこの道を歩んでいくのか。後ろにどのような足跡を残して 来たのか。それらを忘れぬために、私、クラウス・フォン・ノルヴァルデンは剣士となったこの日から日記をつけることにした。願わくば我が使命が 果たされるその日まで、命長らえんことを。その無上の喜びを、ここに書き残さんがために。そして再び、親愛なるヨルク、そしてマルティナと平穏 な日々に戻らんがために。」 何か、悲壮な覚悟を感じさせる筆致だ。剣士に成れた喜びなど、見えて来ない。何がクラウスの心にのしかかっているんだろう。尽きせぬ好奇心と ともに、俺はさらにページをめくっていった。日記は、まずクラウスが剣士になる前の日々について記述していた。気付いたのは、彼がそれを終始、 第三人称で綴っているということ。私見を極力抑えて、内容を客観的に見せる手法だ。クラウスにとっては、自分自身が感じたことなど大して大事 じゃないんだろう。彼は綴る。 「世が世であれば、クラウスはおろかその父、そして祖父までもクワを手に、剣とは無縁の生涯を送れたことだろう。しかし祖父の若かりし頃、 魔族が世を乱し、神の加護とてなく、時の王は武器の担い手を欲したのであった。人の畑を耕していた祖父は、その求めに応じて剣士となり、天寿を 全うするまで勤めを果たした。王国は彼の献身に、小さな農地を与えて報いたのだった。  クラウスの祖父が武運に恵まれていたとすれば、父は才覚に恵まれていたのだろう。彼もまた剣士として王に仕え、才能の赴くままに武勲を上げて 聖堂騎士に取り立てられた。当家に家名が与えられたのは、それ以来のことである…」 単なる家族自慢か、とウンザリしてきたけど、先を読んでいくうちに思いなおす。どうも、クラウスが強調したいのはそんなことではないらしい。 ページをめくっていくと、他の一家との出会いが記されていた。ある日、クラウスの父は西から戦禍を逃れて来た一家に出会う。その長は、まだ 一才の幼子を連れていた。聞けば、オーク族によって住んでいた土地を追われたという。祖父が賜り、父が住むこの農地もオーク族の地から遠く ない。さらに、自分の妻もクラウスを身ごもっていた。他人事として見過ごせなかった父は、農地を分け合ってその一家を庇護すると決めたの だった。また、その申し出に深く感謝した一家の長は、家人としてこの新しいの騎士家に仕えることになったという。そして生まれて来たクラウス は、家人の長男とともに育つ。二年後には、父の庇護下にある一家に長女が誕生する。クラウスが後で伝え聞くところに拠れば、お祝いの席で厳格 な父が、その日だけは前後不覚に酔いつぶれるほど痛飲したという。 要約すれば、そこに綴ってあったのはヨルク、そしてティナとの幸福な出会いだった。力点が置かれているのはそこであり、二人がクラウスに仕えて いるのは、単に出会った時の身分が違ったからに過ぎない。そんな気持ちが、行間からひしひしと伝わって来る。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 思わず頬を緩めつつ、次のページをめくろうとした時のことだ。ノックの音がして、ドアの向こうからティナの声が聞こえる。 「クラウス様、ノウン様がお目覚めになりました。」 「…分かった!すぐ行く。」 緊張が胸に甦る。気が付けば、左手に必要もない剣の鞘を固く握りしめていた。ティナも言葉なく、後ろについて来る。 屋根裏部屋への階段が、普段よりも長いように感じられてもどかしい。やっとのことで階段を登りきる。それと同時に、やっとノウンの姿を認める ことができた。思わず、溜まっていた息を吐き出す。というか、この部屋に来るまでほとんど息を止めていたことに、ようやく気づく。   「なんだよ、その溜息は……」   「いや、よく気が付いてくれたと思ったら安心して、な」 ああ、本当に良かった。想像していたより、よほど元気そうじゃないか。しかし、ここは気持ちを切り替えよう。どうしても、聞かなくちゃ いけないんだ。表情の引き締まるのが分かる。 「でだ、ノウン。一体何があった?」 しかし、ノウンの反応は実に意外だった。まるでそんなことは大事じゃない、とでも言いたげに視線を自分の荷物に落すと、彼はおもむろにお金の 入った袋を渡して来たんだから。何だって?宿代を払ってきたのは、余計なお世話だったのか!これはかえって、ノウンに失礼なことをしてしまった。 で、でもな。これだって大切だけど、他にもあるだろ…?   「あ、ああ、態々悪いな。って、そんなことよりもだ。ノウン、一体何が――」   「それよりクラウス。僕は彼女に礼が言いたいんだけど、名前も知らないんだ。よかったら君から紹介してくれないか?」 まただ。今度は俺に目も合わさず、ティナを見て言葉を遮る。どうにも、はぐらかされているような気がするな。それに、ティナを紹介しろって? 意外に難しいんだな、これが。何せ俺だって、彼女のことはよく知らないんだから。少しイライラしてきたこともあって、俺は言葉もなく身振りだけで、 ティナに名乗るよう促した。 「初めまして、ノウン様。『マルティナ』とお呼び下さい。私はここノルヴァルデン家のご当主、クラウス様にお仕えする家人です。」 俺の前に出るティナの足取りは軽やかながらしっかりとしており、笑顔はとても凛々しかった。誰もが、ティナのことを気に入るわけだ。こんな風に自己 紹介されちまったらな。ノウンを見れば、少し気おされてしまっている。彼だって、もうすぐ二次職になろうかと言うほど経験を積んだ冒険者なのに。 「マルティナさんと仰るのですね。ありがとうございました。重ねてお礼を申し上げます。それと…僕のことはよかったら、『様』を付けずに呼んで頂け ませんか?その、そう呼ばれると背中がむずがゆくなってしまって。」 「分かりました。ノウンさんも私の前でそう固くならず、楽にしてもらえると助かりますわ。くつろいで頂いた方が、おもてなしする私も嬉しいですから。」 にっこりと笑顔を交わす二人。どうやら、互いに妥協点を見いだせたようだ。でも、俺は譲る気になどなれないぞ。さりとて、真正面から訊いて見ても 答えてもらえそうにない。ここは、攻め方を変えなければな。 「ノウン。」 最初から説き伏せるかのような響きのこもった声に、思わずノウンの体がピクリと動いた。 「何が起きたのか、語りたくないのは何となく分かった。すまない。語りたくないのなら、それでもいいんだ。無理には聞かないよ。」 ここでティナが、お湯とタオルを持って来ます、といって階段を降りて行った。場合によっては、一人の剣士が勝負に負けた話を打ち明けるかも知れない。 その場に居合わせて、客人に恥をかかせるつもりはない、というわけか。 「でもな。お前が目を覚ましたら、警備隊に知らせることになってるんだ。」 「警備隊に?なぜ。」 「彼らは、お前が今回のことを立件したいかどうか聞きたいそうなんだ。ちと厄介だが、お前が血だまりを作って都の往来のど真ん中で倒れていたのは、 隠しようもない事実なんだよ。朝早く訓練場で、お前の重ねて来た努力と同じくらい広く知れ渡っちまってる。」 「…。」 黙り込むノウンを見据えて、俺は続けた。 「ウソでもいい。何か警備隊に申し開きできるような話だけでも、教えてくれ。」 「…駄目だ。」 静かに、でも力強くノウンは確かにそう言った。今度は、俺が口を閉ざす番になる。しかし、その沈黙はノウンの次の言葉を促す上で問いかけるよりも効果が あったらしい。しぼり出すように、ノウンが語気を強める。 「…お前を巻き込んではいけないんだ!僕の…問題に。」 最後には、声が震えていた。強い気持ちを感じる。だけど、俺だってここで引き下がるわけにはいかない。 「ノウン。何があったにせよ、俺はお前の力になりたい。なれるかどうかは別としてな。でも、約束しよう。どうしても、と言うのなら俺は手を貸さないでいるよ。 だから…できれば、本当のことを聞かせてくれ。」 「…分かった。そこまで言うのなら。」 こうして、彼は語ってくれた。白いブラウスの女性に、腹を刺されたこと。彼女から、自分の存在を不要と宣告されたこと。また、ノウンを「排除」することが 「創造主」とやらの意志であること。そのくせ女性は目的を貫徹せず、ノウンをただ苦しめて見下したこと。彼がどうすることもできない、無力な立場に居ると まで言われたことを。 一つだけとっても十二分に怒りを掻き立てられるのに、ここまで友人をコケにしてくれるとは!全てを聞き終える頃には、いつの間にか痛いほど剣の鞘を握りしめて いた。顔には怒りを通り越して、残忍な笑みまで浮かんでいただろう。そんな俺を見て、今度はノウンが言い聞かせるように話しかけてきた。 「クラウス。今なら、まだお前を巻き込まずに済む。考えてもみてくれ。剣の通じる相手じゃないんだぞ。こんなワケの分からない敵に、窮地に追い込まれるのは 僕ひとりでたくさんだ。自分を大事にしてくれ。お前の体は、お前だけの物じゃない。マルティナさん、ヨルクさん、ルーファスさんにユベールさん…そして本当 のクラウス。誰一人として、悲しませちゃ駄目だろ。これまで、ずいぶんお前に助けてもらったしな。今は、この厄介ごとに巻き込まないのがお前やティナさん にできる、最大の恩返しなんだ。」 俺は下を向くと、静かに首を振ってみせた。 「それが恩返しだって…?とんでもない。ノウン。このまま居なくなったら、その時こそお前を赦さないぞ。お前は、頼んで来たよな。剣の稽古をつけて欲しいって。 嬉しかったんだぞ?とても。そのためだけにこの世界に来たとしても、ちっとも苦にならないくらいだ。で、俺を完膚なきまでブチのめせるようになったのか? お前に勝負を挑むこと自体が間違いだと、俺に認識させられるようになったのか?まだだろ。それどころか、まだ二次職にすら就いていないじゃないか。なのに、 俺を差し置いて強敵と対峙するだと?そういうことはな、俺を十連続くらい地べたに這いつくばらせてから言え。俺だってな、決して強くないんだぜ?避けるのが ちょっと上手いくらいでな。そんな俺より強いとは言えないお前を、独りで行かせられるか!」 「クラウス、僕だって間違ったことは言ってないだろ。分かってくれ。」 ああ、その通りだ。お前はこの期に及んで、まだ俺に気を遣ってくれている。そう思うと、ノウンに返す語気も和らいだ。 「ノウン。確かに俺ひとりが手を貸したくらいじゃ、何にもならないかも知れない。でもな。このままお前に何かあったら、俺は後悔してもし切れないだろう。 『なぜ、あの時お前を助けなかったのか。』とな。俺も破れて倒れ、それを悔いるかも知れない。けど、どうせなら『お前を助けて全力を尽くしたけど、駄目だった。』 と思わせてくれ。その方が、よっぽど恩返しになる。」 嵐のような感情がひとまず静まり、二人の間にしばし沈黙が流れる。ノウンは、どう答えるだろうか。お互いに言葉を尽くした。これだけ言ってもノウンの決意が変わら ないのであれば、もうその覚悟を尊重するしかない。俺は固唾を飲んで、彼の返事を待っていた。