摩訶不思議とは、こういうものを言うのだろう。 このようなことに巻き込まれる、いや、遭遇する理由に心当たりなどさっぱりである。 原因を追究するために、昨日のことを思い出そうと頭に手をやり、考える。 思い出しては見たものの、如何せん記憶に曖昧な部分があるのは否めない。 確か昨晩は、職場の同僚たちとの飲み会に参加し、泥酔一歩手前の状態で帰宅と相成った。 最寄り駅で下車した後に、言うことを聞かない手足と自転車をどうにか操りながら、 自宅のベッドまでたどり着いたのは覚えている。いや、そこまでは覚えていた。 その先に待っているのが普遍的な日常であると仮定するならば、何事も無かったように翌朝に目が覚めるはずである。 つまり、ベッドの上で目が覚めなかったということは非日常であることの証明である。 などと小難しいことに没頭してみたもの、現実逃避にしかならないという現実。 ……現実逃避ついでに、「トンネルを抜けると―」というフレーズで有名な小説がある。 そう、これは現実逃避かつ、現実を認識するために必要な儀式なのだ。 火傷するかと思うほどに熱を帯びた陸の上で、肺の中に熱気を溜め込んで一言。 「目が覚めると、一面の金世界だったってかあああああああぁぁぁぁぁ!?!?」 ぽたりぽたりと滴り落ちる汗は、スポンジのように地面に吸収されていく。 よし、現状把握。俺in砂漠Now。うるさい。To○icはどうせ375点だ。 「どうしようもねぇ……、どうしてこうなった……。」 大げさに四つんばいになって今の脱力っぷりをアピールしてはみたものの、アピールの対象がいない。 何より熱い。熱すぎる。四つんばい状態は3秒と持たずに直立不動の体勢へと戻らざるを得なかった。 ふとここで、先ほどから感じる、どうにも拭い難い違和感を再確認するために、もう一度叫んでみた。 「俺!in!砂漠!Now!!」 あぁ、なるほど。違和感の正体はこれか。 10年以上の昔から、父親と間違われるほど低い声をしていたはずの俺の自慢の声が、可愛らしい声になってしまっていた。 確認のためにペタペタと体中をまさぐってみると、さらなる現実が非情にも俺に襲い掛かってきた。 出てるところは出てるし、引っ込んでるとこは引っ込んでる。俗っぽい言い方をすればナイスバディ。 短かったはず髪の毛は、どうやら肩甲骨の下あたりまであるようだ。 「……ある意味夢のような展開だけど、どうにも自分じゃないみたいだ……。」 両手のひらでグーとパーとを交互に繰り返し、身体の動作を確認する。 腕を回し、足を伸ばし、軽くジャンプをしてみると、意外なほどに身体が軽いことがよくわかった。 だが、わかったことより謎のほうが多い。『一体、俺に何をしろというのか』これが一番わからなかった。 「こんなクソ暑いのに、手袋してるし……なんか腰元にはナイフあったし……。」 ウェストポーチの中身を確認してみると、赤い色の液体に、なぜか牛乳。これは……蝶の羽?か? 悲しいかな、この非現実に慣れてきたおかげで、俺は木陰に座り込んで荷物漁りなどを始めてしまった。 すると出るわ出るわ。この大きさのポーチにこれだけの荷物がどこに入っていたのかと思うほどの量が出てきた。 別に持っていたリュックの中からは武器や通行証らしきもの、はたまたパジャマや寝袋、保存用の干し肉などなど。 パっと見る限りは、まるで冒険者のような荷物だなと思いながら牛乳に手を伸ばす。喉が渇いていたのを思い出したのだ。 キュポンと音を鳴らして、牛乳のふたを開ける。右手に牛乳、左手は腰に添えるだけの体勢になり、そのまま一気に牛乳瓶を傾けた。 「んく、んくっ……、ぷはぁーっ!なんだか砂漠で牛乳ってのも奇妙だが、喉が潤せれば何でもいいや!」 行儀悪く手袋で口元を拭ってると、グェグェと鳴く大きな鳥が一匹、目の前を通り過ぎていった。 しばし地面を突いたあと、ひとつグェッと鳴いてまた違う方向へ走り去っていく。 エミューとかダチョウとはまるで違うずんぐりとした身体に、ド派手な模様のでかい鳥。 そんなド派手な鳥とふと目が合ってしまった。なぜだろうか、こっちへ走ってきそうな気がしてたまらないぞ? 「あー、段々近づいてきてるなー……って、こっちに来んじゃねぇー!」 自分より背の高い鳥がこちらへ走ってくる恐怖というのは、初体験のスリルだった。 何を考えてるかさっぱり分からない瞳に、人間の顔など一口に出来てしまいそうなその嘴。 肉食か草食かもわからない上に、人間と野生動物だ。この体重差でもし突進を受けたりしたら、たまったもんじゃない。 「あああ、どうする、どうすんの俺!?……そうだっ!」 荷物の中に武器があったはずだ、腰元のナイフよりもはるかに頼りになりそうなやつが― リュックに手を伸ばし、先ほどの獲物の柄を探す。あれほど存在を主張していたアイツは、こんなときに限ってシャイになりやがる。 「なんでだッ、なんで、こんなときに限って……ッ!うあ、チクショウッ、何で……ッ!?」 あと、数mだろうか。この程度の距離ならば、アイツはものの数秒で到達するはずだ。 自分がこれから遭遇するであろう事態を想像した瞬間より、急速に身体が言うことを聞かなくなっていった。 恐怖のあまり、藁に縋るような思いで地面に落ちていた蝶らしきものの羽を握り締めた。 ダメだ、奴の鳴き声がすぐそばまで― 「うわああああああああああッ!?」 ……あぁ、俺はきっと奴に吹き飛ばされたんだ。 あの体重差と速度だ。常識では考えられないほど吹き飛ばされたに違いない。 あまりの衝撃ゆえに脳がついていけないのだろう、襲ってくるはずの痛みがいっこうに訪れない。 「……大丈夫、貴女?」 「ふぇっ?」 いきなりの出来事に、つい情けない返事をしてしまった。 恐る恐る目を開けてみると、レンガ造りの建物が目に飛び込んできた。 「あれ……?さっきまで砂漠にいて、変な大きな鳥に襲われそうになって……?」 「それ、それ使って戻ってきたんじゃないの?」 長い髪の毛の女性が、俺の手元を指差す。 さきほど握り締めたせいでボロボロになった羽が、手から零れ落ちていく。 何も、何も考えられなかった。だが、停止した思考に反して、涙はボロボロと溢れだしてきた。 「よほど怖い目にあったのかしら?……大丈夫?立てる?」 日の光にキラキラと反射する髪の毛を耳にかけながら、赤い服に身を包んだ女性が手を差し伸べてくる。 「あ、あ……、怖かっ……。」 差し伸べられた彼女の手をとろうと、手を伸ばしたところで、俺は意識を失った。